2025年3月31日より放送を開始している、NHKの朝ドラ「あんぱん」。
子役時代から登場し、ずっと存在感を放っている、たかしの母親・登美子。
美しく奔放なキャラクターの彼女に、ことあるごとに注目が集まっています。
朝ドラ「あんぱん」たかしの母親のキャラが話題!
美しいけれど、どこか冷たい、松嶋菜々子さんが演じる嵩の母親「登美子」。
母親らしくない部分を感じるキャラクターに、放送当初から「何かが起こる空気」を感じ取っていた視聴者も多いのではないでしょうか。
親戚の家に息子の嵩を託し、置手紙を残して去っていった第 話から、登美子の奔放なキャラクターが炸裂しています。
本記事では、登美子の実在のモデル「柳瀬登喜子」さんの生い立ちについてや、登美子の名言・名シーンについてまとめました!
【あんぱん】たかしの母親・登美子のモデルは柳瀬登喜子!どんな人物?
柳瀬登喜子さんは、たかしのモデル・やなせたかしさんの実際の母親です。
どのような人物だったのか、登美子のキャラクターと比較しながら時系列で見ていきます。
一度目の結婚
柳瀬登喜子さんは、高知県の香美郡在所村永野出身。
生家である谷内家は大地主で、三男三女の次女として生まれました。
登喜子さんは高等女学校在学中に一度結婚をしますが、谷内家に出戻っています。

お相手は豪商として知られていた男性だったそうです。
二度目の結婚
1918年5月 、24歳のときに、やなせたかしさんの父・柳瀬清さんと再婚します。
柳瀬清さんも、登喜子さんと同じく高知県香美郡在所村の出身でした。
登喜子さんは、この田舎から当時の第一高女に行った方ですから、やはり気位が高かったそうです。柳瀬家はその頃、かなり傾いていたようですが、登喜子さんが早く結婚されて出戻ってきていましたので、東亜同文書院を出た清さんが、結婚をされたのだと思います。
(引用:「慟哭の海峡」門田隆将著)
当時上海に留学するほど優秀だった清さん。
日本郵船上海支店で働いたのち、講談社へ就職していました。
やなせたかしさん誕生
登喜子さんと柳瀬清さんが結婚し、1919年2月6日にやなせたかしさんが誕生します。



超未熟児だったそうです!
「あなたのお産はとても楽だった。おなかもあまり目立たなくて、誰も気づかなかったの」
(引用:「やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく」)
弟・千尋さんの誕生
たかしさんを出産されて2年後の1921年、夫の清さんがヘッドハンティングされ、講談社から朝日新聞社に転職します。



本当に優秀なお父さんだったんですね!
そしてその同じ年、登喜子さんは弟である柳瀬千尋さんを出産します。
嵩さんの名前の由来は、清さんの留学先の中国にある「嵩山(すうざん)」という少林寺拳法発祥の地の地名。
嵩さんが「山」、千尋さんは「千尋の海」のような海を連想させる名前にしたそうです。
夫の単身赴任
家族4人で東京で暮らしていた登喜子さんたち。
留学経験があり中国語が堪能だった清さんは、特派員としてキャリアを積むため中国へ渡ります。
子供達が幼かったため単身赴任をすることに決まり、登喜子さんと子供達は高知の実家に身を寄せました。
しかし1924年、夫の清さんが病で亡くなります。
やなせたかしさんの著書によると、登喜子さんが夫と一緒に中国へ行かなかったことを悔いて、ひどく泣いていたことを覚えているそうです。
その後、それまで一緒に暮らしていた次男の千尋さんを、夫の兄夫婦の養子にしました。



朝ドラ「あんぱん」と同じ流れだね!
母・登喜子は弟の千尋を清の兄、寛の家に養子に出した。伯父の寛と京都出身の妻、キミの間には子供がいなかったため、千尋を養子にもらうことは、以前から約束されていたのである。
(引用:「慟哭の海峡」)
生活するため奮闘する
当時、専門技術を持たない女性が自活していくことは、簡単ではありませんでした。
なんとか手に職をつけようと模索していた登喜子さんは、あらゆる習い事をします。
母はあまり家にいませんでした。琴、三味線、謡曲、生け花、茶の湯、洋裁、盆景とありとあらゆる習い事をしていました。化粧も濃く、華やかに着飾って外出するので田舎では評判が悪く、ぼくはときどき母の悪口をまわりの人から聞かされることになります。気性は激しい反面、社交的で誰とでもすぐ親しくなりました。
(引用:「人生なんて夢だけど」)
朝ドラ「あんぱん」の中でも、「お茶、お花、お琴…一通りのことは身に付けました。」と松嶋菜々子さんが話すシーンがありましたね!
しかし、お嬢様育ちの登喜子さんに自活していくことは難しかったそう。
嵩さんは幼稚園に通うこともできず、家はどんどん貧しくなっていきます。
三度目の結婚
そんな中、やなせたかしさんが高知市立第三小学校二年生のときに、新たな再婚話が持ち上がります。
登喜子さんの新たな再婚相手は、東京に住んでいる官僚で、子供のいる家庭だったようです。
「嵩はしばらくここで暮らすのよ。病気があるから伯父さんに治してもらいなさい。」
それだけを言い残して、母・登喜子は去り、その後、二度と嵩を迎えに来ることはなかった。(引用:「慟哭の海峡」)
▲内科小児科医「柳瀬医院」を経営していた清の兄・柳瀬寛の家に託され、千尋と共に暮らすこととなりました。
その三人目の夫が亡くなった後、登喜子さんは夫が遺してくれた東京の家に住んだのち、田舎に移り一人で暮らしたそうです。



これは嵩に頼ろうと姿を現した「あんぱん」とは違った史実ですね!
▲引用にも使用したこちらの書籍には、やなせたかしさんがどのような人生を歩んでこられたのか、ご自身の言葉で綴られています。
「アンパンマンではなくやなせたかしさんに興味を惹きつけられた」「人生とは何かを考えさせられた」といった、高評価のレビューが多数見られました。
やなせたかしさんの人生に興味を持たれた方は必見です!
朝ドラ「あんぱん」登美子の名言・名シーンまとめ!
第3話:嵩を置いて立ち去る
嵩の実の弟・千尋は、子供のいない叔父の寛夫婦の家に養子になっていました。
登美子と嵩は一緒に暮らしていましたが、突然寛の家にたかしを連れて「しばらく置いてください」と現れます。
数日ののち、嵩に「しばらく用事があるから出かけますね。」と言い、寛の家にたかしを置き去りにして出て行ってしまったのでした。



迎えに来る気がないのに、「すぐに迎えに来ますからね。」と言って去っていった登美子。正直許せないかも…
この話は、やなせたかしさんの体験した実話に基づいています。
第10話:一人で訪ねてきた嵩を追い返す
嵩を置いて去った後、連絡をしてこなかった登美子。
そんな折、急に再婚先の住所を入れたハガキが届きます。
そのハガキの住所を元に、たった1人で登美子に会いに行く嵩。
しかし、登美子は「ここに来てはいけないの。」と言い、夫に「親戚の子が急に訪ねてきて…。」と説明します。



うぅ…
さらに、登美子を「お母さん。」と呼ぶ娘もいることがわかりました。
たかしは登美子の前から走って立ち去るのでした。
第15話:嵩の元に帰ってくる
嵩の元から去った8年後、突然の目の前に現れた登美子。
再婚相手と離縁したことにより、嵩・そして嵩の住む寛の家を頼るために図々しくも戻ってきたのです。



自分勝手すぎる…!
▼この行動には、Xなどでも批判的な声がかなりあがっていました。
登美子、流石にイライラしてくる🙄#あんぱん
— 🐯✨こーちゃん🍺♨️ (@Ko_suke1124) April 23, 2025
登美子さん身勝手すぎてイライラ、ムカムカする〜‼️‼️‼️😠💢😠💢🌋💥💥 #あんぱん #松嶋菜々子
— Crystallotus (@p63SpcEGxitKXPX) April 18, 2025
今日のあんぱん
— AI (@AI3772966382556) April 18, 2025
腹立つなー!登美子💢
登美子を連れて家に入ってきた時の嵩の表情がなんとも言えない、、、
第16話:嵩の将来を勝手に決める
登美子が戻ってきた柳井家では、養子の千尋が「僕は医師にならない」と言い出します。
寛の妻の千代子は「何を言ってるの?柳井医院はどうなるの?」と動揺しますが、登美子は「ご心配なく。代わりに嵩が医者になります。」と言い放ちます。



急に現れてなんなんだ…!
しかし、母を憎みきれない嵩。
母親のために猛勉強を始めるという、更に切ない展開になります。
第25話:試験に落ちた嵩を置いて再び立ち去る
嵩は登美子を喜ばせたいと、頑張って受験勉強をします。
しかし、試験は不合格。
諦めずもう一度頑張ると登美子に宣言しますが、登美子は冷たく言い放ちます。
「1年なんて、待てないわ。ただでさえあの家で肩身が狭かったのに。」
嵩は再び傷つけられてしまうのでした。



もう来ないで…!
まとめ
放送当初から強烈なキャラクターを視聴者に印象付けた、母・登美子。
自分たちの時代・運命を生き抜くために精一杯だったのかもしれません。
史実に完全に基づいているわけではありませんが、やなせたかしさんが同じような経験をしていると思うと心に響きますね。




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